便利だが誤解を招く言葉「最適化」

「最適化」という言葉は分野を問わずよく使われるので、あたかも世の中の人々が同じ意味を共有しているかの錯覚に陥る。この機能は「最適化」されています、と言われればなんだか、分かったような気になって安心してしまうとことがあるが、実はたいへん危ない曖昧言葉であるのだ。例を挙げよう。


部屋は最適な温度に保たれています。=>誰にとっての?お風呂の前と後では?

最適な製品を選ぶ=>値段?性能?スタイル?

最適な環境のマンション=>騒音?広さ?駅からの時間?


なぜ曖昧か、理由はもう明らかだ。
“最も適する“の適するというのは、条件が定義されて初めて成り立つことばである。条件が明確に共有されている場合は誤解なく使えるが、条件の解釈が人によって異なったり、定義なしで使うのは大きな誤解のもとになる。


“最適解”は、目的関数を与えられた条件のもとで最大化あるいは最小化する設計変数の組み合わせを表す数学用語である。したがって、条件が変わると、最適解も変わるのは当然である。また、最大と最小の両方の意味を含ませても使っている。


なぜ私が、最適化という言葉に敏感になったか、一つの経験をお伝えしたい。あるセミナーでタグチメソッドに詳しい方と話をしていて、最適化は重要だという話になり、当然うなずいて会話をしていたわけであるが、途中からどうも話が噛み合わないことに気がついた。その当時の私が解釈していた最適化は“性能指標の最大化もしくは最小化”を意味していた。


一方、タグチメソッドの二段階設計の最初の手順として示される最適化は、“性能が安定(ロバスト)であること”なのであった。こちらの意味を私は、ロバスト性という別の言葉で表現していたので、まさか、“最適化”が、ロバストの意味で使われているとは思いもよらなかったのである。


(かつ、混乱に輪をかけたのは、私が意図していた“性能指標の最大化もしくは最小化”は、二段階設計の二段階目の、チューニングという手順なのであった。二つの日本語が相互に、別の意味で使われていた会話がいかに混乱していたか想像してみて欲しい。)


“性能が安定であること”が、最も適していると考えるのはそれはそれとして納得できる定義なのである。一方、私の定義する最適化もまた、いいのだ。悪いことにたまたま同じ言葉を使って違う内容を表現していたということである。左様に、最適化という言葉は、人によって解釈によって異なるということが身に沁みたのであった。


私は、最適という言葉を目にすると、「自分で選べる余地が十分にある解集合」と自動的に解釈する癖がついた。要は、 “適する条件”が変わったときに答えが用意されているのが最適ということなので。


ちなみに、中国では、最適化ではなく“優化”という言葉を使うそうだ。最適化ほど意味が解釈依存ではなく、最大/最小ほど強くなく、程よく表現しているいい言葉だと思うのだが、残念なことに日本語に劣化をいう言葉があるのに、“優化”がないのは不思議。“優化設計のすすめ”をいう見出しでプロモーションをしたことがあったが、広めることができなかったのが心残り。


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                             今日の1枚
三寒四温の時期に降る雨は特に冷たく感じられる。雨にぬれた梅を撮るのは寒いが、撮影中の一時はそれを忘れて夢中になる。
日向薬師 - Nikon D70 -
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