有形&無形文化財的‐祐天寺のビリヤード屋があったっけ


25年前ぐらい前に、東横線祐天寺駅に、鄙びた、風変わりなビリヤード屋があった。駅から渋谷側の線路に沿って歩き、鉄道カレーで有名な店(カレーステーション ナイアガラ)の先を超えて100mぐらいのあたり。そのビリヤード屋の名前は覚えていない。1階が八百屋の外階段を登った2階にあった。


なぜ祐天寺かといえば、右も左もわからない東京に新入社員として入社した会社が中目黒にあり、会社から紹介してもらった下宿が、たまたま、祐天寺だったから。ついでに言うと、風呂なしの1Kだった。その頃はまだ銭湯がそこそこ残っていた。


よく飲みに行った。最低週3回、多ければ平日毎日。先輩や上司から誘われた酒を断るなんてことは絶対にありえなかった。時代もそうだったし、会社の雰囲気や人間関係も濃密だったし、何より自分が、そういう学びと酒を必要としていた。上司から薫陶と説教を受け、先輩の自慢話と愚痴を聞き、自分は理想と理屈をぶち、最後はカラオケに行き、本当に絵にかいたような新入社員生活を送っていたと思う。


週休完全二日に移行しようとする前、土曜日が隔週で半ドンと休みが交互にあった頃でもあった。半ドンは思えば、朝起きるためのいい気合いになり、12時になってしまえば、午後は休みで自由に過ごしていいんだ!という休みをおまけでもらった気分になれた。私は半ドンが特別な日という感じで好きだった。会社も個人も土曜日を効率よく使える、いい制度だったかもしれない。


前置きが長くなったけれど、ほぼ毎日のように飲みに行っていた帰り道、祐天寺駅から下宿までの道の途中に、イカガワシイ雰囲気のビリヤード屋があるのはずーっと気付いていて、勇気を振り絞って入ったきっかけは全く覚えていない。が、入った瞬間に、時代を(その頃からさらに)20年トリップしたかのような錯覚と、にわかに自分しか知らない秘密の場所を発見した喜びを覚えたのを、思い出す。


その後すぐに常連になってしまい、平日は平均3日、週末は土日のどちらか日中丸々、そこで過ごしたということ。2時間で500円ぐらいだったように気がするが、通うようになってからは、500円で何時間でも過ごすことができた。何が良かったかと云えば;

  • ぼろぼろの店

店が(今風にいえば)レトロで、ほとんどいつも客がいない。木の床は30年は経っているのではないかというぐらい削られて、昔の木造校舎の床のようにつつやつやしていた。ビリヤード台も年季が入っていて、骨董ではないかと思えるぐらいだった。冬は隙間風が入ってきたから、ストーブ必須。

  • 四つ玉オンリー

プール台はいっさいなく、四つ玉台しか置いていなかった。それも4台だけ(3台だったかもしれない)。プールを期待して入ってくるお客は、マスターから軽蔑の眼(まなこ)と慇懃無礼な口調で断られた、というか追い払われた。おやじが、ビリヤードの基本は、四つ玉という信念だったし。

  • 風変りなおやじ

なんといっても、店のおやじ(マスターと呼んでいたけれど、おやじ、としかいいようがない。)が、ほとんど天然記念物的なキャラクターの持ち主だったこと。気に入った客(幸い私もその一人になれた)には徹底的にサービスし、時間無制限、無料講習(要はマスターといっしょにゲームする)。少しでも気に入らない客だと、露骨に嫌な態度で接し、長居をさせないように努力していたな。親父を、呼びつけるような態度の客には返事をしない、アベック(という、言い方を昔はしていたよ)にはそもそも来て欲しくないから、つっけんどんな対応をして、二度と来ないように仕向ける。ちょび髭で、べらんめえの語り口と競馬好きの、憎めないおやじさんでした。

  • おやじ本人がプロ並みにうまい

ビリヤード屋の店主だからうまくて当然という域を超えていたように思う。行くといつも相手にしてくれて、決して手は抜かなかった。お互いに酒を飲みながらもしょっちゅうだったけれど、それでもゲームは本気。たまに興が乗ると、曲玉といって、物を置いて当たらないように回したり、とんでもない技を披露するから、飽きることなどあろうものか、上達したい一心で通ったものだ。


自分だけの貸し切りビリヤード屋のような居心地のいい時間を、毎日のように過ごした。平日はほとんど酔っぱらった帰りに立ち寄っていた。ビリヤード屋に入ると気持ちが引き締まり、なぜか、酔っていない時よりも無心になるせいか、妙に上手になったりした。土日は午後から夜まで12時間やったことはなんどもあった。


おやじは、他の客が酔っ払って入ってくると、ビリヤードをバカにするなと説教して追い出したのけれど、私は主のような常連になり、おやじの信頼を得ていたから、どんなにべろんべろんに酔っ払って店に入ってきても、ゲームをさせてくれた。至福の時間だったな。


その店も確か通い始めて3年ぐらいでなくなってしまったように思う。生活としても心の拠り所としても、本当にぽっかりと穴が空いてしまったのだった。


思い出して書いてみると、なんであの店が成り立っていたのか不思議でならない。愛想のないおやじ、古くてぼろぼろの店、いつもガラガラにすいていて、なんで経営できていたんだろう。というか、経営なんぞしていなかったのだ。昨今の、”お客様第一、売上向上、利益を出すには”、という考えは一片も持っていないおやじだったのだ。もうけを考えない価値、か。


では、彼がオーナーかといえば実はそうではなく、どうも固定給で雇われていたようだ。オーナーは古い建物を壊す気にも修理する気にもなれず、辺鄙なビリヤード屋をとりあえず任せられる人材として、希有なこのおやじを雇っていたのではないかと、後々推察した。だとすれば、オーナーも相当の太っ腹、根性の据わった人物だったのだろう。想像するに、そういうオーナーだったら、バブルには絶対に乗っからなかったんだろうな。


25年前だから、高度成長期の名残もあり単純に時代遅れの辺鄙な店ということで消えてしまったけれど、もし今の時代にあったとしたら、逆にユニークさと貴重さで、すごく評判になったかもれないなあ、と想像してみたくなった。そのぐらいの価値は十分にあったはずだ。文化財というのは、そういうもんだよね。建物は有形文化財、おやじは間違いなく無形文化財だったよ。


こんな庶民文化財的な場所と人物、いまでもどこかに存在するのか?いたとしても、ほとんど誰にも知られない方がいいんだろうけれど。知っている人だけが、ひっそり楽しんでいることを想像しよう。


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今日の一枚
この湖には、白鳥ボートも、お土産屋も、レストランもなかった。少なくとも湖畔には見えなかった。春のゆったり感とそよ風が心地よく、ずーっとその湖畔で過ごしたいと思った。対岸を望遠レンズで覗いたら、そっちに行きたくなってしまった。確か、青木湖畔だったような。

@信州 - Nikon D70
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