精神的な成仏への道−平たく言えば、やりたいこと


新年とともに、本当に年が一つ上がるので、毎年正月には強く年齢を意識する。52になった。仕事に関しては、30代〜40代はかなり自分の思う通りのことをしてきたつもりだ。その代償でもないけれど、わが身の至らなさで妻にはかなりの負担を掛けてきたことも事実。妻には、感謝と深謝の両方です。

50代になるとほぼ同時に、会社の吸収と組織の改編に伴い、仕事のポジションもやり方も大きく変わった。仕事の様相が変わるのは、昨今の社会情勢から言えば、多くの人たちが経験していることであって、特別なことではない。しかし、50の節目にこういう経験をすると、これまでひたすら前だけを向いて来た精神的な勢いが退いてきて、これまで成さないで来たことの数々が、頭をよぎってくるのだ。特に、仕事以外のこと、仕事に関連するけれどその周辺テーマについて。仕事以外のことも、もっとやらないといかんぞ、という体内警告が本能的に発せられているのかもしれない。

また、こうも言えるかもしれない。20代の方がよほど、真摯に学んで来たのではないか。30代〜40代の20年間は、自分の引き出しから出す一方で、吸収する方に時間を割いてこなかったのではないかと。もちろん経験から自然に学んできたことはあっただろうが、人から、会話から、本から、映画から、美術から何でもいい、意図的に学び・考え・自分を肥やすことを怠ってきた結果ではないかと。

ともあれ、成さないできたことばかりを考え過ぎるとマイナス思考になってしまうので、今からでも遅くはない・これからたくさんできるではないか、とプラス思考で考えようとしてはいるのだが、特に昨年来、何か雑念・煩悩のまっただ中に居て、精神的な整理がつかない状態にある。精神的成仏がなされていない状態とでもいおうか、自分の世界観は一応あるにはあるが、落ち着きどころが定まらない感とでもいおうか。孔子曰く、「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。」からは程遠いのは確かだ。

さて、精神的な成仏へは、行動することだけだ、ということもわかっている。何をしたいのかを書いて見ることは、その準備としても整理のためにもとても有効なので、まずは箇条書きにしてみよう。



  • 読みたい本がたくさんあるのに、全然読めていないフラストレーション

Mediamarkerを使って、読みたい本を片っぱしから登録している。今までだったら忘却の彼方に消えていたはずの読みたい本リストがきれいに管理できるので、始めた当初はうれしくてしかたがなかったのだが、今は優に300冊は越えてしまっていて、その1割も読むどころか購入さえできていないので、これから先どう処理していけばいいのか、新たな悩みが生じてきた。かまわず、どんどん追加していくだけでいいのか、でも、それは自分が読んだわけではない単なるバーチャル・リストと化してしまうだけだ。出張の度に、鞄に4冊は雑誌と本を混ぜて入れないと気が済まないのだが、毎回雑誌は読むけれど、本の方は読めないで帰宅してしまう。。読みたい本が多いというのは、自分の精神が渇いていると感じているからだ。本を読まないと新たな思考も生まれにくいし、独りよがりになる。まずは、読むことだ。精神的な渇きには、本が最大の癒しになる。


-自分にとって写真は何かを素直に考え直してみる
写真を始めたのは、1999年ごろからだっただろうか。このブログの、「表現コンプレックスと写真」というところで、写真を始めた動機を書いた。以来、外に発表するわけでもなく、写真集団に入るわけでもなく、自己満足的世界で続けてきたわけだが、昨年は仕事上の状況もあり、週末に撮影に出かける意欲が全然わかなかった。さりとて、写真への興味を失ったわけではない。今年は再開しようと思う。ただ、これまでのように、行き当たりばったり漫然と続けることに物足りなさを感じてきていることは否めない。自分はどういう写真を撮りたいのか、もう少し見定めることが大切なような気がしている。


-美術・陶芸・建築などへの興味はどういう方向へ行くのだろう
アートについては全くの素人だし、テーマや作家について語ることもできない。特定の作家にとても好みが偏っていて、自分がなぜその作家に惹かれるのか、分野は違えど惹かれる要素になんらか共通項があるような気がしてならない。ないかもしれないし、それを追いかけることに意味があるかどうかもわからないのだが、物理的精神とでもいおうか、説明可能ななにがしかを、追い求めたくなるのだ。もし、共通項がわかれば、今度はそれをもとに自分が何に興味を持つだろうかと、推測できるようになるかもしれない。あるいは、自分の好み、ひいては自分が美しいと感じる美の本質を語るなり、記載なりすることが可能になったとすれば、一つ自分をモルモットにした、より広く“心地よい”状態なり世界なりを、他人に説明できるということだ。”アートは個人の好みや感じ方しだい”で終わらせるのは、もったいないという思いだろうか。


-ライフワークとしての全体最適視点を形にできるか
ある大学で、客員の肩書をいただいている。テーマは、産学イノベーション。いろんな分野と経験を持った客員の方々と話しをするのはとてもいい刺激になるし、議論の中で新たに発想が思い浮かぶというのも、わくわくする経験だ。その経験や議論を何らか残る形にはできないものだろうか。これからの世の中を広い意味での全体最適という視点で捉えていくと、色々なことに説明がついていくような気がしている。たとえば、イノベーションは、これまでの価値を破壊し、新しい価値を創造する出来事であるから、パレート解(最適解集合)のフロントを前進させる起爆剤と考えてもよいだろう。社会学的な活動を数学的なモデルで説明しうる一つの面白いネタかもしれないと考えている。斬新な技術には、かならず従来価値観をひっくり返す斬新な視点がある。最近知った、東北大学の石田秀輝教授が提唱しているネイチャー・テクノロジー*1という概念などは、その最たる例かもしれない。すごく興味がある。



まあ、でもこうやって書いてみると書く前には思いもしなかったことをなんと沢山書いていることか。別に無理して絞り出しているわけでもないから、やっぱり、普段からこういうことを無意識に頭の隅っこに抱えていたんだなということが、良くわかる。こうして書いた後は精神的なデトックス(解毒)をしたような、すっきり感があってよい。悩んでいるときは書けと言われるのには、理由があるわけだ。

さぁーてと、また一年がんばろうー!


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*1:参照ブログからの引用文:従来型の科学アプローチとは異なり、すでに地球史の中で限りない検証と淘汰が行われた、完璧な自然の循環を科学の眼で観て、人間にとって必要なものをリ・デザインすることによって、地球への負荷をとても小さくすることができる、まったく新しいものつくりや暮らし方を提案しようとするものです。