娘の成人に、文理往復した高校と予備校の頃を想う

娘が成人を迎えた。といっても、バイトのせいで成人式には出れず、特別祝ってやることもしていない。今度、家族で食事に行こうと話している。彼女も昨年1年浪人を経験した。1年前の今頃はだいぶ神経をすり減らしていて、本人も回りも驚くいい結果が待っているとは知らなかったのだ。今は、家庭教師のバイトに疲れたと愚痴はいいながら、それなりの大学生活を送っている。


翻って自分が二十歳の頃は、浪人の2年目で成人式どころではない、悶々とした日々と格闘していたことを思い出す。これを機に、高校から浪人の頃の様子を書いてみよう。そのうち娘が読むかもしれず、読まない方の確率が高いけれど、何か書いておけば家族の誰かの目に触れることもあるだろう。


私は高校生の頃は、直情というか気持ちの赴くままに行動に出ていたので、傍から見ると実にふらふらして見えていただろうと思う。その1、高二の頃理系か文系かの選択で、理系クラスにいたのだが、格別、数学や物理・化学が出来るというわけでもなく、むしろ化学・生物は大嫌いで、消去法的に自分は理系志向という決めつけで理系にいただけだった。ところが、たまたま歴史とかドイツ文学(といっても、ヘッセを読んでいた程度)あたりに興味が出てきたり、その当時関心を持ち始めた自然保護運動だとかに触発され、物事や世の中を考えることに目覚めたり、人生論の哲学本を読み始めたりしてきたものだから、高三になって、文系クラスに転向したのだった。


その2。考え過ぎがたたり、それにその頃絶対信者だったジョンデンバーという歌手の歌や彼の世界に浸り切るあまり、高校に居る意味や、大学に行く目的がわからないと言いだして、高校を中退して、アメリカで牧場をやるなんという、とんでもないことを言い出したのだ。気持ちとしては大分本気だったけれど、実現プランもなく、親・友人・先生すべてに反対説得されては、それ以上理屈を通すことができないのも当たり前だった。しぶしぶ、高校は卒業するということにしたという気持ちだったし、文系に転向しながら古文や漢文は大の苦手ときていたから、どこを受けたって現役で合格できる大学はないのも道理だったのだ。


受験全滅を体験して、ようやく目が覚めて、文系志望がそもそもの間違いだったことに気づき、予備校では、再び理系志望に戻った。理由は二つ。まず、中谷宇吉郎の人工雪に憧れ始めたことや、彼の本や恩師の寺田虎彦の本を読むにつけ、物理学者でもこんなに素晴らしい文章とセンスを持てるんだと感銘したことか。二つ目は、文系の人間だったら怒るような、でも単純な理由「文系は本読めんで、努力すればどうにかなるかもしれないが、理系の学問は自分一人では絶対に無理」によって理論武装し、自分で自分の背中を押したことだろうか。


予備校の授業を最初に受けた時の、うれしい驚きは今でも忘れない。教え方でこんなにも理解が違うということ、勉強することがこんなにも楽しいということ。受験のために教え・学んでいるのだけれど、詰め込みではなく、本当に理解する勉強の仕方とテクニックとしての問題の解き方の両方を、予備校で学んだのだった。益々、大学に入る意欲が湧き、だいぶ健全な予備校生活を送っていた。苦手な教科も、教師が素晴らしかったから、目から鱗のような思いを何度も味わって、苦手意識が消えていった事を思い出す。彼らは、本当に教えのプロだったな。


しかし、世の中というのは理不尽なことが重なるもので、従来の一期校/二期校の制度がなくなり、この年より、“共通一次試験”という新しい試験のしくみが開始されたのだった。今のセンター入試の始まりだ。高校時代の不勉強をかなり挽回したとはいえ、この新しい試験制度に追いつくだけの能力身に付かず、あえなく再度全滅したのだった。今でも覚えてる。北大、信大、気象大、立教、立命館、理科大、ぜんぶきれいさっぱり不合格。


その頃すでに、雪の研究と南極に行きたいというまっとうな目標が芽生え始めていたのと、山岳部に入るという第二の目的に加え、恵迪寮に入りたいという第三の目的まであったから、北大が第一志望だったのは、変わらなかった。信大は、完全に山岳部目的という怒られそうな理由と、北杜夫や辻邦夫が出た旧制松本高校の流れだという、学問以外の理由。気象大は、南極とも雪とも直結するし、お金をもらえる公務員の身分になれるという、少し親を意識した選択しだった。


浪人2年目の寂しさ、心細さは忘れられない。寮に入っていた仲間はみんなそれぞれ、合格した大学に入学していったので、一人ぼっちになっただけでなく、置いてけ放りにされたような気持ち。友人が回りから突然消えたショックで、ひたすら勉強するしかないという開き直りもあった。数か月に一度は、自分は一生大学に入れないのではないかという強迫観念に付きまとわれた。相談する相手もなく、勉強することで拭い去るしか手段がなかった。


浪人2年にしてようやく、北大と気象大と、私立何校か、一気に合格してしまい、気抜けしたほどだった。予備校の寮を引き払い、実家に戻ってから、溜まった受験資料を1冊1冊たき火で燃やした時の感慨はひとしおだった。1か月前までは、大学には一生は入れないかもしれないと、思い込んでいたわけだから。


入学する大学を選べるというありがたい状況に、親は、気象大を強く勧めた。学費ゼロに加えて、生活費までもらえる公務員待遇だったし、そのまま気象庁に入れたわけだし。ただ、この当時は、私にとって何が何でも、北大、山岳部、恵迪寮が、絶対の価値を持っていたから、両親には泣いて大学の学費と生活費をお願いしたことを忘れない。感謝感謝。今、考えると、気象大→気象庁コースを歩んでいたら、今頃は、南極越冬を3回ぐらい経験しているかもしれないなぁと思いながらも、もちろん、この時の選択肢を後悔はしていない。


これは、人生の最初の大きな岐路だった。人生に「もし」はあり得ないので、想像しても仕方がないのだ。私は、選択をしたのだから。さて、大学入学後も、まだまだ山谷が続いていろのだけれど、もう別の機会にしよう。


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