大震災での節エネルギー対策から、持続的社会と新たな日本の役割を想起する

東日本大地震の被害は毎日増え続けている。これまで亡くなった方々に加え、行方不明になった人たちの人数は、残念ながらこれからもどんどん増えるだろう。目を覆うばかりの被害と惨状に言葉もない。被災者の方々は、不幸中の幸いと言ってはおれない過酷な生活環境にある。津波被害の北辺にあたる八戸市は、わたしの両親の住む実家であるし、最近は仕事の関係で宮城県多賀城市にかなりの頻度で訪問していたから、それら知人達の安否が確認できるまでは気が気ではなかった。幸い3日後までには、皆さん無事との連絡をいただいたので、少し精神的には楽になった。


さて、こうした最中に、今後のことを語るのは早すぎるかもしれない。が、災害をマイナス面だけで語るのではなく、いま経験しているこの事態から学び、まさにこの最中に新しい日本の姿の方向性を語っておくことが、大切だと感じている。


先日、下記のツイートをした。
「節電、ガソリン制限、移動制限、など結果として、これからしばらくの間、節エネルギー生活を強いられるわけだけど、これを契機とし復興後もこのカルチャーを根付かせて、持続社会へ向けた新たな社会風土を作れないものだろうか。一過性に終わらせず。」

本質的に言いたいのはこれがすべてなのだけれど、ブログなので、もう少し噛み砕いて思いを整理してみたい。


- 今われわれが行っているのは、持続的社会のあり方や方向性そのもの、かつ、実証モデル付き

大災害へ対応するという強いられた形であれ、計画停電に協力するために関東・東北地区では企業や各家庭で厳しい節電活動が行われている。どれだけ真剣に皆がこれを実施したかの効果たるや、提供可能電力の75%という予想電力に対し、実需電力が下回ったので、初日は計画停電を実施しなかったほどだ。電車がかなり間引き運転されたという影響が大きかったとはいえ、全住民の理解と協力なしには、1日足らずでこんなことはできない。計画停電は始まったばかりで、少なくとも4月までは続くというし、その後終わるという保証もない。


また、ガソリンを災害地に供給する必要があるため、被災地以外の場所でも大幅にガソリン供給が制限されている。こういう事態になると自然に優先度の低い用事や買い物はしなくなるものだ。遠出も控える。”スピードを抑えたり,急発進を控えるなどエコ運転を心がけてる”(あるツイートから)。出かける頻度が減れば、お金も使わず、余分な時間もできる。


被災地の後方にあたる関東地区のこのような状況を見るに、まさに日本は、この災害への対応の結果として、持続的社会の雛型を作りつつあるのではないだろうか、と思うのだ。であれば、このことを一過的な災害対応策ではなく、未来を見据えた社会実験の一つとして真剣に前向きに捉え、より洗練された形での社会モデルを作っていく契機にすべきであろう。


今なされていることは、言い換えると、エネルギーはお金を払うと自由に使えるものではなく、必要性を十分に考え優先度を決めて使うものになってくる、という必然的な未来図の姿なのだ。これは、成長的社会から持続的社会への転換を図るための、重要な価値転換だと思う。かつ、重要なのは“必要性”を決めるのは国家や自治体ではなく、企業や国民自身の判断だということ。配給制度や社会主義との本質的な違いである。エネルギーの総量は制限されるが、どこに使うかは自らが判断するという社会風土を作りあげていくことが、国全体の大切なミッションになっていくべきではないのか。


国民は事情を理解し、納得すれば、自ら判断できる。特に、世界各国が称賛しているように、あるべき方向に向かって秩序正しく自律的に動くという特性を日本人は持っている。平時においては、個性のない、自分の意見を持たない、周りに同調するといったマイナス面で語られることの多かった日本人のこの特性は、緊急時においては一致団結して助け合って動こうとする、優れた長所に変わる。


第二次大戦時には、時の軍部政権によってこの特性がフル活用された。”非国民”、”欲しがりません勝つまでは”などの標語のもとに、国民総出で戦うことを強いられたのだ。今度は、この特性を、持続的社会モデルを作るという前向きなミッションのために活かすことを考えるべきなのだ。この災害から復興しようというエネルギーを持ってすれば、そのベクトルに“持続的社会”という意図と制御を加えるだけで十分可能なように思える。



- 世界中が日本の復興を信じ支援しようとしている中で、新たな役割を実証することの価値

日本が第二次大戦度に奇跡的な復活をしたというのは、世界中が知っている日本の歴史的事実。これをモデルにしようと努力をしている国々も多く、日本が尊敬されている理由の一つでもある。この震災では、60年前の復活をこの震災に対しても当てはめて、再復活を期待する論調も多い。


しかし、ここで復活すべき目標は、もうおわかりの通り、単に元に戻るということであってはならない。今日の価値観に基づいた社会ではなく、新たな持続的社会であるべきなのだ。再度の奇跡と言えるとしたら、世界の国々が新たな規範にしたいと思わせるような、革新的な社会モデルでなくてはならない。そういう方向で日本が変化しながら復興していくとしたら、世界の国々は、災害復興という視点だけではなく、日本から学びたいという視点で、多くの多様な支援をしてくるだろう。相乗効果により、日本の持続的社会モデルの構築はより加速されるだろう。日本はGDP基準ではない、新たな時代の新たな価値観におけるリーダーになれるだろう。これこそ、日本の国益であり、かつ高度経済成長時のような一人勝ちパターンではなく、世界相互利益をもたらすWin-Win効果ではないのか。


不謹慎かもしれないが、途轍もなく大きな犠牲を払っている中で、だからこそ、誰しも疑わない真剣さで国全体が取り組むことができる、将来に向けた大きな課題を解決するチャンスではないのか。直接被災していない外野の評論と受け取られることも覚悟しつつ、あえて、一石を投じてみたいのだ。


最後に、多くの亡くなった方々のご冥福を謹んでお祈りいたします。一日も早く、被災者の方々の厳しい環境が和らぎ、希望の見える生活ができますように。



[2010.03.26追加]
ほとんど同趣旨の、内容はもちろん比べ物にならないほど洗練されている記事を見つけましたので、どうぞご参考に。この記事の中の文章は、深く同意する点ですので、同時に引用させていただきます。

需要に応じて電力が必ず供給される時代が終わった」足達英一郎

容量限界がまず存在し、それを「奪い合いの経済」にならないよう、需要の側が英知を集めて、最も効率的な使い方をしていく。そうした時代が到来したのである。
 - 中略 -
「計画停電」などといった対処療法ではなく、本当の意味の省エネルギー社会の姿を受け入れてほしい。一方これを契機に、企業も家庭も電力のユーザーは、いかに電力を使わないで豊かな暮らしが実現できるかに挑戦し、成果を上げて世界からの尊敬を集めることを目標にしたい。
 - 中略 -
3つ目は「エネルギー多消費産業からの構造転換に伴う摩擦を甘受したうえで、ずば抜けた省電力社会、経済を目指す」


===============================================================================================

・リンクを張っていただくのは、どのページでも自由です。

・本ブログ内のすべての情報(文章、写真、動画、イラストなど)の無断転載をお断りいたします。

・引用の際には、”慣行”の範囲内で「Shimamaro's Room」とURLを引用先として明記してください。

・Copyright(C)2010-2011 d.hatena.ne.jp/shimamaro All Rights Reserved.

・Never reproduce or replicate without written permission.

・Link free without any permission.

===============================================================================================