「買い溜め=合法略奪」をしない日本の”品格”を示そうじゃないか

関東地区は、首都圏であり、物流の中心であり、被災地の後方にあって、被災地を支援する立場にある。その関東地区で、スーパーでの品切れが続出している。不安の連鎖が起こっているのだ。


昨日「スーパーの品切れと渋滞の共通点=みんなが小悪魔」という記事を書いた。品切れは、一部の買占め消費者のせいではなく(きっかけではあるかもしれないが)、われわれ一人一人の不安に巣くう小悪魔が、少し多めに買っておこうと思わせる集団心理のなせる技なのだと、いう論旨。念のため一個余分に、来週まで待たずに今日、買うことで安心感を得るためにしている行為なのであると。


スーパーで主要な食品が目の前でどんどんなくなるという事態が目の前で起こり、かつ、自分も加担していることに気付こう。10個買うと罪悪感を持つが、1個買うには何も気にしなくなる。罪悪感は、分散され、薄められ、一個買うことで、安心感を得る。この小さな安心感と引き換えに、被災地の不安が一つ増えたのだということに気付こう。

  • 目の前のインスタントラーメンは、本当に今日明日食べるのか?来週まで、食糧庫に眠っているのではないのか。
  • 米を買うのはなぜ?この数週間で米さえも供給されなくなるかもしれないと、本当に思うのか?
  • 停電中料理ができないからといって、納豆が毎日必要なのか。
  • 作り置きをしよう。計画停電は高々3時間だ。
  • 肉・魚・野菜は不足していない。普段通りの食事ができるはず。
  • 即席食材は、被災地優先。ここは被災地ではない。


災害に乗じた略奪が起こらない稀有の国と世界から称賛されている日本であるが、買占め・買い溜めは、お金を払っているだけで、実は、合法的な略奪だと気付くべきではないだろうか。店においてあればいつでも誰でも買えるのに、皆が利己的になって各自の家に買い溜めしてしまい、店には品がなくなる。「買い溜め=合法略奪」以外の何物でもないと思う。一時流行した、「品格」が問われている問題に他ならない。


金・物の寄付やボランティアを考える前に、買い溜めに加担していないかを考えてみよう。関東地区で品切れしたら、流通のバランスが崩れ、被災地には益々届かなくなるかもしれない。あなたが、インスタントラーメンを余分に一個買うことで、被災者に回るはずの一個が減る。その脇で、寄付するのは、一種の偽善ではないのか。


われわれは、被災地を支援する前に、支援を妨害しないことを考えるべきではないのか。関東地区の特に、西方向にある東京、埼玉、神奈川地区は、幸いかなまだ被災者ではない、支援できる立場にある。われわれ自身が胸を張って自信を持って、この災害に対応しているということを言えるために、示すために、被災地支援を混乱させるような、買い溜めをまず止めようではないか。


[2011.03.26追加]
買い溜めは、供給側にとっても特にはならないということを、サプライチェーンの観点から論理的に指摘しているツイッターのまとめ。

買い溜めとSCM

抑制する方策は、値上げすることだと。便乗値上げではなく、買い溜めの抑制のために有効とのこと、なるほどと思う。






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