10年後の自分に選択肢を与える−情報キュレーション実践(その1)

なにはともあれ、こんな大層なことを書いて公開してしまって、大空振りするかもしれないとか、予想もしない反応が出てきたらどうしようだとか、不安がたくさん過ぎっている。でも、この想いと構想をいつかどこかで書いて実行に移さねば、5年後10年後に本当に後悔するにちがいないという気持ちの方が強いので、まずは世の中にちょこっと置いてみようと思う。このスピードの早い世界だし、似た構想はおそらく、誰かがやるはず、いやすでに着手されているかもしれないのだし、だったら、同士が増えていっしょにできるんだったらやってみよう、そう前向きに考え、ほとんど文章を書いてしまったいたのだけれども、やっぱりしばらく踏ん切りがつかずにいた。


そしたら、1月中旬に立て続けに、「10年後の選択肢」という視点を持つとてもいい文章を二つ発見してしまった。

朝日新聞に毎日曜日、仕事力というコラム欄があって、ビジネスの第一線で活躍している人たちのいい言葉がたくさん載っている。2012年1月15日には、民間人で初めて公立学校の校長先生になってたくさんのユニークな改革を行ったことで有名な藤原和博さんが、「人生は一山で終わらない」と題する記事を書いていた。次に引用する文章を読んで然りと思った。

10年後のために右足を踏み出して、まず今年1割それをやっておく。来年は左足を出して2割、再来年は3割とスケートのように足を踏み換えながら進み、裾野を作っていくイメージです。

また、同じコラムシリーズの1月22日の記事では、

周りに有り余るほどになった物や情報をどうやって、自分の知恵で編集していくか。その一人ひとりのフィルターこそが、これからの仕事力なのではないでしょうか。

とも書いている。


二つ目は、ソーシャルメディア活動を精力的に実践されている大元隆志さんが今年から始めたAssioma's メールマガジン第一号(2012年1月13日発行)の冒頭言にある言葉。

人生80年の時代。定年になってもあと20年以上人生は続きます。仕事だけの人生では無く、夢とファンと共に歩む仕事と夢を両立させた人生がテクノロジーの進化によって、実現可能になりました。

夢を見るために、仕事を辞める必要も無く、起業する必要も無い。昼はサラリーマン、夜は「創作者」として夢を追う。閉塞感の漂う日本の社会で、自分で夢と絆のセーフティネット作りを行い、お金と心、両方が充実した実りある生活を行う。

どうです?この二つの記事は十分に私の気持ちとぴったりと共鳴。なので、躊躇していた私の背中を押してくれたのだと思って、ブログとFacebookに出してみることにした。とても長い記事なので、私の意図とやり始めたことを手っ取り早く知りたい方は、まず、

99.01 : シミュレーション・設計・つなぐ技術
https://www.evernote.com/pub/tenshan/99.01_Simulation_Design_Link

をアクセスしてしていただけると、中身がわかります。Evernote共有を活用ってところが、ミソです。


(1)発端
元旦生まれの私は、今年2012年で53歳になった。50代という歳は、仕事の実績には自負を持ちながらも定年後の人生計画を否応なく考えさせられる年頃だ。そんなせいかどうか、実は、昨年後半あたりから、自分の中で何かを整理しなければいけないという強い思いが湧いてきていたのだけれど、なぜそんな思いが出てきたのか、何をどうやって整理するというのか、ぼやけた状態のまま数か月が過ぎた。

と、昨年12月のある日、「情報キュレーション」という言葉で、いろいろなことが一本の線ですーっとつながって、私がやりたいらしいことが浮き出てきたのだった。ITジャーナリストの佐々木俊尚氏が、キュレーションを

情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有すること

と定義づけ、著作やツイッターなどで紹介していて、時代を表すハマる言葉だとは思っていたのだが、自分の中に明確に意味を持ってストンと腹に落ちた瞬間が訪れたのだった。これまでの自分の経験や知識を、情報キュレーションという形で表現し、かつ、5年後、10年後の自分に選択肢を与える手段を考え、仲間を募り、みんなが役に立つ何かを作って見ようじゃないか、と。


(2)なぜ

「情報キュレーション」の話には後で立ち返るとして、動機的な話を少ししてみよう。

平たく言うと今の世、10年後、いや5年後でさえ何がどうなっているなんて誰にもわからない。過去5年の動きを逆に見るとよくわかる。世の中は激変している真っ最中だ。既存価値・前提・システムが崩壊しつつあり、”既存的もの”を扱う企業は、サバイバル状態だ。大きく急激に世の中の価値もしくみも変わりつつある。この5年は特に。Changeという言葉を使っていない企業は少ないだろう。ほんとに、Changeできるかどうかは別にしても。

一昔前だったらあり得た、定年後第二の人生を年金もらいながら、畑でも耕し趣味を磨いてのんびり暮らす、なんてことはまず誰も想像できまい。だからこそ、多少世の中がどうなっても対応できるように、自分の立つ場所を自分で用意し、かつ柔軟に変化・移動できる状態にしておかないと、手遅れになる。日本の強みと評されていた一億総中流の時代はとうに過ぎ去り、富や情報格差の二極化が急激に進んでいる。(今や政治格差もと言いたくなるけれど。)高齢化も二極化の流れの中で進んでいくだろう。

よほど個人ブランド力のある人やすでに個人営業で身を立てているは別にして、たいていのサラリーマンは、会社を辞めるとただの人だ。過去の役職に意味はなくなり、専門知識や経験を生かす場は消え失せる。子会社や関連会社に行けるような大企業で実績のある人は恵まれている方で、それでも5年がいいところではないか。65歳を過ぎるとたいがいは専門力を生かした仕事にはつけなくなるし、人脈も古くなり、否応なく孤立度が増えていく。80-90歳にまでなれば、家族に囲まれた余生で十分だろうが、60-70代は、健康で知識も能力もあるわけで、国や自治体や会社だって少しは活用方策を考えているようではあるけれど、全然当てにできない。60歳からの20年をどう過ごし、活かすかは、本当に自分しだいだ。

今も、毎日、毎週、毎月と確実に時間は過ぎていき、1年が経つのが実に早いではないか。”10年後の自分に選択肢を与える”という目標には、先の藤原氏が書いているように今の若い世代にも大事だけれど、特に、私と同世代近辺の人間にも、まだまだ大きな意味がある。手遅れではないはず。10年も長い、たぶん5年後。もはや同じレールはどこにも存在せず、個人がレールを引き、Changeを実践していかないといけない時代になってしまった。


ーーーまだ先があって、(6)章まであるので、二分割にします。その2を読みたい方は、こちら。