カンヌからアンティーブへ - その2

旅の1日、しかも写真を撮りたい時には、早朝から出るにかぎる。人気のない朝は思わぬシーンに恵まれる確率が高いから。ここコート・ダ・ジュールはフランスの南端とはいえ緯度は北海道と同じぐらいなので、冬の日の出は遅く、8時である。あまり早くに出ても暗いだけなので、ゆっくり出ることにしよう。目の前のカンヌ駅に行き、3つ目の駅で降りると、もうアンティーブだ。途中の海岸線が美しく、途中下車をしたい思いが募ったのだけれど、そこまでの衝動はやめておき、今回はやはりアンティーブを優先しなくてはいけない。


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さて、ようやく冒頭に戻る時が来た。なぜアンティーブに惹かれたのか。実はピカソのせい。ピカソが晩年アトリエを構えた小さな古城があり、ピカソがそこに作品を残し街に寄付したので、そのままピカソ美術館になったという逸話に惹かれたのだ。ピカソの作品を見たいというよりも、ピカソがアトリエを構えるほどの城とその風情はどのようなものか、アンティーブという街とどんな風に調和しているのかを見たかったのだ。アンティーブという土地の名前がいかにもピカソがひっそりアトリエを構えるにはちょうど良さそうなそういう響きの町の名前だったから。不遜だけれども、ピカソの絵ではではなく、ピカソの気に入った土地ならば、さぞかし素晴らしい場所だろうという妄想が、アンティーブという名前に結びついてしまったのだ。

 

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さて、駅に降りるとやはり、他の駅に洩れずそっけなく情緒の全くない駅舎。駅前もなんの変哲もなく、したがって感慨も湧かない。まずは海へ。200mも歩くとヨットハーバー。街は小さいのに、コート・ダ・ジュールで一番大きなヨットハーバーというのも頷ける、見渡す限りヨットやクルーザーで埋め尽くされている。太陽が上がって30分ほどだろうか、人は誰もおらず、風はなく、港の海面は綺麗に凪いでいる。まだ赤い太陽は、林立するヨットのマスト群の間から覗いている。露出を抑えると、空も海も十分に赤く彩られる。本当は結構明るいのだけれど、そこは写真のいいところで、暗くするとあたかも日の出直後のように赤い空と海面になるのだ。しかし、ヨットだけの海辺はつまらない。まだ8時半なので、ピカソ美術館の開く10:00までにはたっぷり時間があるから、どこに行こうかと思案するもガイドブックはなく、タラタラと岸壁を歩く。そうすると、1Kmほど先の岬状の上に大きな星型状の城壁が見えるではないか、あそこに行ってみよう。行ってみて城壁の中に入れない可能性もかなりあるだろうなとの不安もよぎったものの、あまり選択肢がないので、ダメ元で行ってみることを決意。

 

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海岸沿いに歩くと意外に近く、下にある運動場から入れそうだったので、迷わず進む。唐突でその場にそぐわない巨大な石像は、ヨーロッパの騎士というよりも中国の将軍に見えるような無骨なもので、大いなる違和感を感じながらその横をすぎる。城壁のある小山を右手に見ながら歩くも高い金網が運動場を隔てていて、城の側に抜けられる気配が全くなく、沿いながら500mは歩く。途中に2箇所ほど行きできるはずのゲートがあるのだけれど、早朝のせいか、土曜日のせいか、閉じている。運動場の突端まで来てようやく、城壁側とは完全に分離されていて、一度運動場をグルっと戻ってから、同じ距離を城壁につながる蜜の入り口まで歩き直さないといけないことに気づく。愕然だ、失敗してしまった。30分はロスしてしまうだろうし、朝から歩きすぎで疲れてしまうだろう。城壁まで来ようとしたのは失敗だったと暗い気分になる。


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だけれど、開き直って境界の端まで歩いて行ってみると、どうにか柵を登って向こう側に降りれるところがあるではないか。誰もいないことだし、咎められることもないだろうと、迷うことなく柵越えを実行する。慌てて、カメラを傷つけたり、コートを引っ掛けたりしないように慎重に、だけれど素早く柵を超える。50歳後半にもなってこんな子供じみたことをやっていていいんだろうか、でも、背に腹は変えられない。時間と体力を節約するには仕方がなかったのだ。

 

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ようやく、城壁につながる海岸に出て道なりに歩くが、殺伐としていて途中で道がなくなるかもしれない気配が漂っている。でも、さっきの金網越しに見えた道はしっかりしていたから、途切れることはないだろう。こんな誰もいない道があるかないかのようなところで、間違って事故にあったりとか、テロリストのアジトだったりしたら、誰も知らぬ間に私は行方不明になってしまうのだなと、不安な気持ちが引き起こす妄想が頭をよぎる。引き返そうか、いや、ここまでくれば、城壁の下まではすぐのはず、などとツラツラ考えながら歩き続けると突然、当初1Km先に見えていた立派な城壁が忽然と現れる。着いたじゃないか。入り口はどこだろう。もしかして、開いていないかもしれない。そう、案の定城壁への唯一の入り口には張り紙がしてあって、開門は10時からと。やっぱりか。下調べをしないからこういう目にあうんだよと、自分を諌めるものの、どうなるわけでもない。城壁の反対側に回り、一周して元の道に戻る。時間は9時半、なんだか、ちょっとハラハラ・ドキドキといい運動をしただけの1時間だったなと。それでもなんだか記憶にだけはしっかりと残る1時間だった。

 

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さあて、10時に開館だから、そろそろ目当てのピカソ美術館の方に歩いていこう。ヨットハーバー沿いに行くのが一番近い。遠くから防波堤のように見えていた壁は古い石垣でできているようだった。金柵からランプ灯が見えるのは、いい風景がありそうな兆しだ。船から直接魚をおろしてその場で売っている漁師さんの横を通ると、車が通れる門が見え、それをくぐると、城壁にも見えそうな古い石垣の上に出れる階段が見つかる。さっき見えていた、金柵とランプのあるところだ。上に上がるとどうだろう、石垣の上が海岸沿いの通路になっているじゃないか!いい景色だ。この道なりに歩けば、目指す美術館に着けるに違いない。ちょうど良い散歩写真を撮れそうだ。ようやく期待できそうな状況になってきたんだろうか。

 

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地中海の海、静かなコート・ダ・ジュールの海だ。先ほどまでの落ち込んでいた気分が嘘のように晴れ上がる。調子に乗って、右に歩いては戻り、左に歩いては振り返りと写真を撮っていたら、急に右足の下がずるりとすべる。あれっと思って足を移動するとまたすべる。もしや!と見ると右足の周りが犬の糞だらけなのであった。石垣の角なので、飼い主が糞を持っていくのをサボったのだ。靴底をどうにかしなくては。幸い、ツルツルの靴底だったので、石垣の床にさんざんこすりつけたらきれいに取れたものの、写真撮りたいあまりによく見ないで歩くからこうなるのだと自分を戒める。

 

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しばらく歩くうちに、言われなくてもここがピカソ美術館という雰囲気の小城が見えてくる。階段がくねった絵になる小さな広場。その反対側にある壁の美しい教会からパイプオルガンの音が聴こえてくる。なんという素晴らしいタイミングに居合わせることができたのだろう。静かに扉をあけるとほとんど誰もおらずオルガンの音だけが響いている、練習なのだろうか、練習でも本番でも構わない、教会でパイプオルガンが聴けるのだから。椅子に座って一人で聴く贅沢なひと時に感謝。

 

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ようやくピカソ美術館に入ろう。展示階が入れ替えのため半分閉じられているとのことで、入城料半額になっていた。ピカソ以外の画家の作品があるフロアのはずで、本当はピカソよりもそっちを見たかったのだけれど、こちらは不運。城の小窓から見える景色がよい。城の二階からベランダのようになってる外で彫刻が展示されている。ピカソ美術館の目玉はこの場所だ。城の中から解放された出口に向かうと目の前に地中海が全面に開けてくるのを見た瞬間、これがアンティーブの海を感じるということなのだなと。先ほどまで見てきた同じ海なのだけれど、ピカソ美術館という名の古城のテラスから地中海を見ることで、ドラマティックな感動が生まれるのは、この場所の魔力だ。このテラスに椅子があったならずーっと佇んでいることだろう。なんという価値のある3ユーロだったか。

 

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城を出てどちらに向かおうか、裏手の静かな住宅の路地を降りていくと、右手に騒がしい人の気配。本能がこっちだとささやく。小さな門をくぐると、なんということだ今までほとんど人を見かけなかったのに、こんなに人々であふれている。アンティーブの朝市に出くわしたのだった。これぞ、あてなし地図なし放浪散歩の醍醐味なのだ。魚から始まり、野菜、果物、肉、ジャム、はちみつ、ワイン、オリーブ、絵に描いたような街の朝市。市に寄った通りには庶民的なレストランが並び、ワインを飲んでいる人たちで一杯だ。市場のの先の狭い通りにも人が溢れて歩いている絵のような構図に、カメラのシャッターが止まらない。アンティーブに住んでいる人たちには日常でも、はるばる日本からきた私には、非日常と新鮮な驚きに満ちた光景ばかり。

 

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路地から路地を本能のおもむくままに歩く。逆光の石畳の上を歩いてくる二人のシルエットが輝いている一瞬、白い三角の布切れがたくさん紐に結わえられてはためいているのは理由はわからないけど、自転車といっしょにするといい被写体になった。少しだけiPhoneの地図で場所を確かめ、駅の方角をめざす。五差路になった広場では、蚤の市に遭遇し、予想以上のいろんな出会いに幸せな気分でいっぱいになる。あわよくば買おうかなと思うも、意外と値が張るものが多い。散歩だけにしておこう。

 

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駅前についたらちょうど昼で、全然情緒のないカフェ以外、まわりにも店らしきもの何もなく、列車待ちと昼食を兼ねて仕方なくそこにはいる。たった4時間だったけれど、失望と感激の差が激しい、密度の濃いアンティーブの半日。ある意味想定通りか、それ以上の収穫だったろうか。下調べをしないリスクと思わぬ驚きと。