”つなぐ”であふれる世の中とつながれていない「設計技術IT」の不思議

「つなぐ」というありふれた言葉に、最近敏感になっている。「つなぐ」技術は、現代の世の中で、空気とさえいえるほどあたりまえであるのに、私の関わっている技術の世界ではそうではないという不可思議な事実に、ますます気づいてきたからだ。


インフラと呼ばれている”システム”の本質はつなぐことにある。道路しかり、電送網しかり、上下水道、ガス、列車、流通網、電話、インターネットなど、いかにスムーズに故障なく、物や人や情報を移動させるかというネットワーク・システムがインフラである。地震などの大災害で、インフラが壊れることの恐ろしさは、つなぎ(=ライン)が分断されてすべての流れが、止まってしまうから。


一旦つながれた流通路(ネットワーク)ができてしまえば、”一定のルールを決める”ことで、物の行来を制御することができ、自動に流れるシステムになる。インフラという言葉どおり、社会はインフラ無くして活動はおろか、生活、生きることすら成り立たない、ぐらい当たり前の事実がある。空気と同じは大げさではない。


ところが、私が携わっている技術系ITや科学技術研究開発の世界では、実は、まだまだ人に依存する仕事が多く、”つなぐ”ということができていないようなのである。最先端が尊ばれる世界なのに、なぜなのだろう?え???本当?皆さん、不思議に思われませんか?逆説的だけれど、実際にそれは事実。


理由は、「最先端=専門性が高い=他の分野は知らなくていい=他との連携や受渡が難しい=つながらない」という桶屋の論理が現実化しているからだ。個々の技術が発達していく途上にあった昔はこれでもよかった。尖がった技術はそれだけで、成果になり、利益を生んでいたから。しかし、専門性が高いほど技術が属人的になり、隣との会話が難しくなる。


人間の特性という観点でも、自分が興味ある、あるいは担当している分野の研究や開発をしている方が、普通は面白いし楽である。私だってそうだ。違う分野に興味を持ったり、別の専門家と話すのは、説明が面倒だし、時間も食う。ところが、最先端の技術になればなるほど、技術の細分化が進み、かつ、成熟化した技術も増えてきている昨今では、尖がった技術一つだけで大きな成果になるほど、物事は簡単ではなくなってきたのだ。逆説的だが、技術が進歩しすぎたが故に、技術の孤立化が目立ってきたといえなくもない。後述する、豆腐の表面積の原理。


別に技術じゃなくても、ものが増えると、つなぐ線の方が増えていくのは、下の例で考えると、実は当たりまえ。

●点と線の理屈
N個の点をつなぐ、すべての線の数は、N(N-1)/2。N=10の点をすべてつなぐと、55のリンク線が必要。すべてつながなくても、N*Nのスケールで増えていくことは確か。ちょっと飛躍するけど、半導体の世界では、トランジスタが数億個の世界なので、回路設計、すなわち、つなぎ方が、とても重要なわけだ。

●体積と表面積の理屈
1丁の豆腐を切れば切るほど、体積は変わらないのに、表面積だけが大きくなる。1人でやれる仕事を、2人か3人であれば効率いいかもしれないが、10人でやろうとすると、教育、連絡や報告、情報のやりとりの方に時間がかかって、かえって効率が悪くなるのは、この理屈。コンピュータの並列化の効率を考える際も、原理的には人間の仕事分担と同じで、CPU間の情報伝達量が多すぎると、並列効率が落ちる。


上記例と同じ理屈で、技術が細分化されればされるほど、実は、技術同士のつなぎや情報交換が要になってくるのだ。新材料開発一つとっても、強度だけでなく、低温・高温特性、加工性、リサイクル性、毒性、特性のバラツキなど、評価・検証すべき項目は極めて多い。物質の中のある元素の配合を変えるだけでそれらの特性は変わってしまうから、これらは一人の専門家で対応できることではない。”みんなで一緒に検討”が、ものすごく大切。


パソコンを設計するにも、意匠デザイン以外に、性能高、メモリー大、ディスク容量大、電力小を行いながら、エンジニアリング・デザインとして、重量、大きさ、強度、発熱、冷却、耐衝撃、電磁派対策、生産性、コスト、リサイクル性などを考慮しなくてはならない。これらを個別に設計していたのではとてもではないが、まともな製品にはならない。


そういう状況であるにも関わらず、現状としては、技術の専門性を”つなぐ”ことへの関心はまだまだ低いと感じざるを得ない。難しいから、という壁もあるけれども、意識の壁がその前に鎮座しているように、思われてならない。世の中はインフラだらけで、つなぐ技術に支えられているというのに、科学技術の世界では、つなぐ技術が相対的に重視されていないというのは、”そういうものだから”、で済まされることではなく、実はボトルネックになっているんではないか、ということを、声を大にして叫びたいのだ。


私のように、少し捻くれた考えの持ち主でないと、「つなぐ技術」には興味が持てないのだろうか?と捻くれて考えても見たくなるのだが、繰り返すように、現代社会は、つなぐの塊であるインフラなしには成り立たず、インフラで巨大なビジネスが成り立っていることを考えれば、「技術をつなぐ」になぜもっと関心が持たれないか、と絶対絶対不思議なわけである。


止まらなくなりそうだし、これ以上は私のビジネスの秘密なので、今日は問題提起の起だけにしておいて、筆ならぬ、キーボードの手を止めましょう。「承転結」と続きますので、よろしく。「結」になるかは保障できないけれど。


お読みいただき多謝!
To be continued.