信州を一人旅した高校生

先日、数年ぶりに信州方面に出張でした。特急あずさに乗って八王子を越えて窓の景色を眺めていると、ましてや弁当を食べる時間帯だと、どうしたって旅行という雰囲気になります。やっぱり、高校時代に八戸から上高地まで一人旅したことを思い出しました。中央本線に乗ると必ずあの当時のことが思い出されます。1975年か、76年頃です。

 

確か、高校3年、山への興味が目覚め、北アルプスへの憧れが募っていた頃でした。芳野満彦の山靴の音、松濤明の風雪のビバーク、加藤文太郎の単独行といったノンフィクション、井上靖氷壁新田次郎串田孫一などを熱心に読んでいた頃です。本の中では、新宿から夜行に乗って早朝に松本に着くというくだりが必ずありました。中央本線に乗った瞬間に、気持ちが山に向かうという雰囲気を味わってみたいと思いました。本でしか知らない登山と信州という土地への憧れが混じり合って、その聖地ともいえる北アルプスに一度行ってみたいという思いがどんどん膨らんでいったのですね。

 

といっても、全くの見知らぬ土地、知人もなく、登山経験も全然ない高校生がいきなり北アルプスに登れるはずもなく、上高地のキャンプ場に泊まるだけならばどうにかなるだろうと、心配する親を納得させ、決して一人では山には登らないと誓って、夏休みに行ったのでした。

 

八戸から上野まで夜行急行で12時間、新宿から松本までその当時の特急の名前も「あずさ」だったように思いますが、3時間以上たぶん4時間はかかったのではと。やっとのことで思いを巡らせてきた信州という憧れの土地に来ることができたうれしさと窓の景色の新鮮さとで、列車の中でそれだけでも旅に出たという感慨に胸がいっぱいになったのでした。

 

私のその時の格好はすごかったはずです。というのも、いとこから借りたキスリングザックに簡易テントや着替え、食糧、アルコール調理器などを入れただけで一杯になり、寝袋は持っていなかったので、母親に頼んで毛布を畳んだ片方をタコ糸で縫ってもらって袋状にするという安易で嵩張る寝具をデパートの大きな紙袋に入れて持っていったのです。格好など一切構わない風体でした。

 

上高地でのキャンプは、早朝の鳥の声に起こされて、テントの開けると木々と霧に囲まれた梓川が目の前に見えた時の感動はそれはそれは素晴らしいものでした。本の中でしか想像できなかったその瞬間を見ただけでも、来たかいがあったと思いました。アルコール調理器が非力過ぎて、朝お湯を沸かすだけで1時間もかかった悲惨な経験もしましたけれど。それで、どうやって、何を食べたのだったか。

 

親には絶対山には一人で登らないと誓ったものの、いざ現地に行くとその姿に圧倒され、梓川のほとりを散歩するだけではとても飽き足りません。それで、上高地から一番近くて低い西穂高岳のルートを、危険のない行けるところまで行って、少しでも不安を感じたら戻って来ようと決めて、向かったのでした。記憶は定かではありませんが、稜線までは行かなかったと思います。それでも、きれいな森の中を歩き、自分の中では結構な未知の冒険的な興奮を味わえたのでした。

 

せっかく遥々来た信州ですから、上高地の後は、松本市内のリーズナブルな料理屋さんを探し、味噌田楽と馬刺しを食べた覚えがあります。高校生一人は珍しかったせいか、若いお姉さんたちからおごられたり、帰りの電車では登山帰りのお兄さんに声をかけてもらって、その後文通に発展したりと、いま思えば未知の場所と見知らぬ人との出会いを楽しむという旅のだいご味をたっぷりと味わったものでした。

 

あの旅は、初めての家から離れての長距離かつ一人旅でもありましたし、自分も一人前で何かできるんだというようなものを感じた大きな経験でした。諏訪、小淵沢や韮崎という駅名もしっかりと記憶に残りました。今書きながら思い出し、あの時の経験が未だに体に染みついているのだということがわかりました。中央線に乗ると無条件にノスタルジックな思いになるのは、そのせいなのです。