人生を変えた言葉「設計とは最適化」

スーパーコンピュータ会社に勤務していた頃、社長と元N自動車専務のM氏との会食の場に同席する機会があった。当時私は、N自動車担当のSEというだけで現場代表的に末席にいただけであるが、その場の誰かが、話題が途切れたところで”設計とは何ですか?”という恐ろしい質問をしたのをはっきりと覚えている。

M氏といえば自動車業界で尊敬を集めておられる自動車設計の第一人者の方であったから、M氏の専門的な回答へ対等にフォローする会話を誰もできるはずもなく、後先かんがえないその不用意な質問に、全員の食事の手が止まってしまった。(人は都合のいいことを忘れるから、もしかするとその質問をしたのは、私だったかもしれないという恐ろしい思いもよぎるのだが、だれかは本当に忘れてしまった。)

さらに、M氏も質問後、食事の手を止めただけでなく1分間近く黙ってしまったものだから、皆”M氏の機嫌を損ねてしまった”と内心思い、益々場が凍りついてしまい、どうしたものか、と皆がハラハラしているうちに、おもむろにM氏が語った一言が、「設計とは最適化」であった。

彼は、機嫌を損ねたわけではなく、我々自動車設計のしろうとを前にして分かりやすい言葉を探そうと、1分間真剣にその回答を熟考していたのであった。

私は2つの意味でこのときの情景が忘れ難い。一つには、どのような場であろうと真摯な回答をするというM氏の技術者としての誠実さである。こういう人間的に深い方だから部下にも誰にでも尊敬される第一級の技術者なのだと、理解した。二つ目は、本質的でかつ含蓄に富むそのシンプルな回答そのものである。

設計を議論する際の最適化ということばは、ともすれば、数学的な意味での”唯一絶対の最適解“という狭い意味での最適と解釈される場合も多く、甚だ誤解を招く用語ではあるが、本来、最適の定義は、条件により多様であり、唯一絶対を意味しない。

まさに、それゆえに、「設計とは最適化」という一言は、複雑・多様な設計条件のもとで”可能な限り適正な設計解“を見つけたいという、設計者の夢を示しているといえよう。さらには、重量最小、性能最大といった単目的問題だけではなく、トレードオフ性を持つ多目的問題、ロバスト性や信頼性、コストや製造性、デザイン、感性的魅力なども含めた総合的な最適性を、設計者は目指しているということを、M氏は一言で表したかったのだと理解する。私は、このときに「最適化」という言葉にM氏が思いを込めた意味以上の、思いや解釈を経験したことがない。それほどに、M氏の設計人生を表するかのような深い言葉に感じられた、素晴らしい一言だったのだ。

その場での私の理解は上に書いたようにきれいに整理されてはいなかったけれども、直観的に「設計とは最適化」という言葉は自分にとって本質的に重要だと感じられ、強烈に私の頭に残った。以後何かにつけこの言葉がよぎり、「設計最適化」を実現するためのしくみやソフトへと関心が傾いていき、情報収集しているうちに、Isightという製品を紹介してくれたのが、NASAの著名な最適設計研究者であったDr. Hiro Mであった。奇しくも同じ名字の二人目のMさんである。

同じ言葉を別な場で別な人から聞いていたとしたら、さも当たり前すぎて右から左に聞き流していたかもしれないが、先のような状況でのM氏の言葉であったから、私にとって仕事人生のターニングポイントになった言葉になったのだった。

M氏は、その場にいた1技術者に多大な影響を与えたということは全く意識もされなかっただろうし、すでにお亡くなりになっているので、感謝のメッセージをお伝えする機会は永遠になくなったわけだが、私には一言で人に影響を与えうる人物に会えたというだけでも忘れ難い思い出である。優秀な技術者はいい製品を作るが、超優秀な技術者は人を作るというようなことを、どこかで読んだ覚えがある。実感である。

(筆者注:N自動車のM氏と書かざるを得ないのが残念。ブログであるからどのように解釈引用されるかわからないので、本名の開示は控えさせていただいた。)


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                             今日の1枚
「ネムネム」はとても活動的なリスだったけれども、たまに、ふっと、”憂い”のある表情を見せた。こういうときは、触ってもじーっとしていて、人間よりもよっぽど人生(リス生)のことを真剣に考えてでもいるかのようだった。

- Nikon D100 -
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